忘れ難き歳月

忘れ難き歳月   楠 正徳著


忘れ難き歳月出征から抑留まで
召集令 昭和17年 大東亜戦争は熾烈になり、米軍の偵察機が東京の上空にまで飛来してきた。国民生活は困窮していた。小学校では児童にカラムシ、野草、ドングリを採取させ供出した。児童のズック靴も配給だったが、すぐにも破れてしまいそうな粗末なものしかなかった。母が召集令状がきたことを私に告げた。いよいよその時が来た。

入隊

昭和17年11月1日


表紙.jpg入隊 家族親戚、若者たちに送られ、入隊した。受領した被服は、戦闘服に長靴、これによって乗馬隊で外地と言うことが想像された。軍人直喩を暗記した。
品川出発
肌寒い秋雨をついて、世田谷の部隊から、品川駅まで歩く。待機していた木造列車に乗り、鎧戸を下ろしたまま汽車はひた走った。そして下関で列車を降り、門司へ、翌朝輸送船で釜山港へ向けて出航した。

渡満


写真03.jpg玄界灘の荒波にもまれ、小さくなる祖国の島を見つめ続けた。祖先が築き上げた歴史文化の永遠なれと祈り、自分たちはこの国を守るために外地に向かうのである。
国境通過
牡丹江駅についた。列車は切り離され、さらに国境方面に向かって、進んだ。ようやくついたのは「興凱」という駅だった。ここで弁当に暖かいみそ汁の給与があった。凍てつく寒さのなか、今でも忘れられないみそ汁の温かさと味であった。
部隊入隊
砲兵聯隊に入隊。訓辞を受け第三班に配属される。
28歳のロートル新兵であった。
初年兵教育
砲手班に編入され、砲手としての教育を受けることになる。二番砲手とは大砲の転把をまわして砲の照準を合わせる責任が重い仕事だ。零下30度の屋外では金属に素手でふれるとはりついてしまう。
騎砲は馬に大砲をひかせたり、馬で移動するので、乗馬が必須である。