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親子丼

VPの仕事。不況の影響か、少なくなった。テレビ番組の大手制作会社でもその部門は縮小され、スタッフは異動してしまった。残ったのは 医学関係、法律関係 どれも専門用語ばかりの難度の高い仕事。以前は会社紹介や 社員教育 各種マニュアルなどが主だったが、高いナレーション技術の要求される物ばかりになった。メディアもVTRからWEBや、CDROM DVDなどに移ってきている。それに伴い原稿量も増えた。

前の仕事が早く終わり、お昼に時間が空いたので、少し歩いて人形町の「玉秀」に行った。テレビ 雑誌で紹介され 親子丼が人気の料理店。ランチは11:30からだが、すでに20人程の行列、覚悟を決めて最後尾についた。前に並んでいるのは、関西から来たらしい家族連れ、後ろのグループも、関東近県から来たようだ。すっかり観光ルートになっている。30程待ってやっと店内へ、下足を預けてお座敷にあがると、そこでまた行列。食券を買って待つ。注文はもちろん「元祖親子丼」
10分ほどで席に案内された。年輩の紳士と相席、軽く挨拶しお茶を飲みながら、じっと親子丼を待つ。隣に4人の若者が案内された。そして、ついに料理が運ばれてきた。全員の目がどんぶりの蓋に注がれる。そっと開けると、全員の口から「おぉ~」という音にならない吹き出しが見えたような・・・この瞬間待たされた事に納得した。見るからにおいしそうなのだ。全員無言で食べた。人間おいしい物をいただいた時は幸せな気持ちになる。料理人は、その顔を見るのが、何よりの喜びだろう。
私たちの仕事は 料理人と同じ立場だ。仕事を終えブースから出た時、スタッフやクライアントの表情ですべてが判る。どんな食材であっても、おいしい料理を作り続けなければならない。9月にいよいよ「KATARI座」がスタートする。舞台の場合は、お客さんが目の前に居るのだから、判定は更に厳しい。詳しくは別の機会に書くが、豪華なメインディッシュを引き立てる前菜が、美味しく出来るか、これが問題だ。

タイチャン

仕事が終わって、プロデューサーに一杯ごちそうになった。その席で、「語り」について話を交わした。麦人さんは殿山泰司の自伝を脚色した「タイチャン」をロングラン上演中。月一度の公演もあと2回で、ひとまず終わる。まだ見ていない人は是非ご覧ください。麦人さんのホームページに詳しい情報があります。

「タイチャン」は、「1人芝居」に近いスタイルだ。お酒を飲みながら様々な思いを語る殿山泰司さんを、麦人さんが演じる。それはタイチャンの姿をした麦人さん自身だ。 入り口で接客をしていた麦人さんが、そのまま舞台に上がり、ついたての裏でサングラスをかけて登場する。そこから語りがはじまる。サングラスが異空間への入り口であり、合図でもある。お仕舞いまで「素の麦人さん」に戻ることはない。落語や 講談とも違うし、坂本長利さんの「土佐源氏」などともまた違う、独特のスタイルだ。回を重ねるごとにますます面白くなっていく、お客が参加して、作品が完成していくのだと見るたびに感じる。放送は、お客の参加が無い。そのせいか、独りよがりになりがちだ。

ギャグ

コメディー作品の日本語版にゲスト出演した。観客の笑い声が入る 公開生録のコメディー。今オンエアーされている作品にも、こう言った番組が多い。古くは「ルーシーショー」最近では「フルハウス」日本では、吉本新喜劇等の舞台中継はあるが、この形式のドラマはない。洋画の吹き替えの仕事の中でも、難しいのが、「ギャグ」この日はそれを痛感した。「ギャグ」 ☆大辞林によれば、★映画や演劇などで,観客を笑わせるために筋と関係なく挿入される即興風な台詞や動作。★とある。

「ギャグ」は、生ものだ。
タイミングがずれたり、古くなれば、色あせるし、ものによっては腐る。海外で制作された作品を吹き替えるアテレコの場合、そのこと自体鮮度を落とす作業になる。言葉の壁がある。言葉だけではない 生活習慣も価値観も違う。そこで演じられたギャグの鮮度までをも吹き替えるのは、至難の業だ。特に 時事ネタや、その国独特の話題だと もうどうしようもない。「吹き替えたら わけわかんない」でもお客は笑ってる。これでは「字幕スーパーの方がいい。」と言われてしまう。そこで 翻訳者を始め演出家 プロデューサーも知恵を絞る。
普通のコメディーなら、
「このシーンは制作された国では面白いが、日本では笑えません」と言えなくもないが、公開放送だと、お客さんの笑いがあるので、極力 共通の話題に置き換え鮮度を蘇らせる。時には原作と全く違う台詞になることもある。この日も、納得いくまでアイディアを出し合った。芸達者がそろっているので面白くなったが、どうしても限界はある。
翻訳は難しい仕事だ。
特にアテレコの翻訳は難しいと思う。文化の違いを、何処まで置き換えるか・・・社会 生活習慣 宗教・・・グローバル化が進んで 情報が共通化しているので、翻訳も変わってきている。アメリカ映画で必ず出てくる言葉に「Oh My God!」がある。最近ではお笑いのネタにされているが、昔は「なんてこったい」と訳す人が多かった。今では「オーマイガー」とそのまま言った方がいいシーンもある。

囲碁

昨年やった仕事の完成VTRが製品版で届いた。待ちに待った囲碁の指導ビデオ、私が指導するわけではない、プロの先生方が指導する合間に、ナレーションが入る。囲碁を始めて長いが、いつまでたってもへぼ碁の私に、うってつけの仕事だ。このところアニメーションで人気の囲碁だが、相変わらず私の周りでは囲碁をする人は少ない。以前はジャッキーチェンの声でおなじみの石丸博也さんに、よく打って貰ったが、近頃は碁敵きたろうさんと打つだけだ。
ビデオは全部で6本各50分から60分、ナレーション部分は全体の10分の1程だから、収録の日は、作品全体を見ることはない。ナレーションが必要な部分を頭出して終了すると、次の作業領域まで飛ばす。仕事の効率は良いし当然だが、囲碁好きの私には、ストレスがたまる。ナレーションで「さてここで大事な一手があります。それは何処でしょう」これだけ言うと、答えは飛ばされて、見ることが出来ない。隔靴掻痒、石膏のギブスの上からかゆいところを掻いている気分だ。しかしこれをスタジオで全部流したら、制作時間は何倍にもなるし、費用もかかる。スタッフも疲弊してしまう。制作者側が効率よく仕事をすることは、作品のクオリティーやコストに於いても、視聴者の利益に貢献する。

洋画やアニメーションのアテレコは、ほとんど、ストーリーの流れに沿って、順に録音していく。最近は事前にVTRを貰って、家で各自リハーサルをする。収録日は、出演者全員そろって、テスト、ラステス、本番、リテイク、すべてのシーンに出演する人は、最低でも3~4回は同じ映画を見ることになる。リハーサルが1回と言う人はまずいないだろうから、それだけで2時間ものなら、2回見たとしても4時間かかる。収録日には、演出のダメダシや、台本の直し、もちろん「とちる」こともあるので、更に時間がかかる。順取りが原則だから、出番の少ない人も、朝から晩までスタジオにいることになる。全員で創る。これはアテレコの草創期に、先輩達が作り上げた、舞台の方法を取り入れた、最も効率の良いシステムだった。録音機材も映写機材も今とは違う、失敗の許されない厳しい環境では、舞台づくりのチームワークが必要だった。

しかし映画は、ストーリーの順に撮影することなどない。ストーリ-そのものが、撮影が終了するまで決まらないこともあるし、クランクアップしてから、撮影し直すこともある。だから アフレコも、作品にもよるが、ストーリーの順に録らなければならない理由はない。舞台は、お客さんとリアルタイムで接しいてるから、前のシーンの流れを受け継いで、芝居も変わるかもしれないが、映画は違う。まして最近はノンリニアで作業するのでフィルムの掛け替えのような手間も必要ない。なのに依然として昔の定跡通り収録する事が多い。今こそ宇宙流を越える妙着が必要だ。「良い作品づくりに最も適したシステムは何か」原点に戻り、ランク問題を含めて、最善手は何か考える必要がある。日俳連にとっても、まさに死活の問題だろう.。
(囲碁連盟様有り難う御座います。

オーディオドラマ

声で演じる仕事をして随分になるが、未だにラジオドラマに出演した事はない。ラジオ番組やCDドラマ CMの出演はあるが、ラジオドラマには縁がなかった。最近はオーディオドラマと言うようだ。昔小さな劇団で共演したT君が、ライターとしてオーディオドラマを手がけている。久しぶりに会うことになった。作家を紹介して貰うためだ。暮れの六本木何故か活気がない、これも不況のせいか。
実は、今オーディオドラマを作ろうという話が、いくつかある。興味を持って見ると、奥が深い世界だと分かった。私の出番などない事がよく分かる。制作本数が少ないこともあるが、それだけではない。

先日近くの小学校で、読み聞かせの会に出た。授業前の時間を使って、絵本を読んで子供達に聞いて貰う。民話の短編を2本演じた、1本は、絵本を見せながら、もう1本は、語りだけで。絵を見せた場合と、絵のない場合では表現方法が違う。子供達が絵から想像する世界を、壊さないように、それと喧嘩しないように、読み始めなければならない。絵の情報は親切だから、読み手も同じように親切に表現しようとすると、見ている子供達の集中が途切れてしまう。一方絵のない表現では、逆に子供達に絵を描いて貰わなければならない。どちらも難しいが、演じる方は絵のない方が、楽しい。この時は同じ読み方をして失敗した。途中で気が付いて修正したが、自分だけ楽しもうとしてしまったのだ。子供の反応は素直で、嘘がないので、とても勉強になった。
オーディオドラマの世界の奥深さは この楽しさと関係があるような気がする。

オーディオドラマの演技は、距離感が重要だ。距離とは相手との間隔 さらには親しさによる距離 これらを的確に表現しなければならない。舞台や映画なら観客は視覚によってある程度判断できるが、オーディーオドラマでは俳優が声だけで演じ分けるしかない。日常生活の会話で緻密に距離感を使い分けていることを知る、ある出来事があった。耳の遠いおじいちゃんが補聴器をつけた。こちらの話は良く伝わるようになったが、困ったことが起きた。何人かで会話したとき、誰に話しかけているのか周りの者に、分からなくなってしまったのだ。補聴器をつけると周りの音全てが増幅されて聞こえると、何かで読んだことがあるが、音の距離感が無くなってしまった状態なのだろう。普段意識しないで、しゃべっているが、実は音のキャッチボールをしながら、会話は成り立っているのだ。実は距離の表現はオーディーオドラマだけの問題ではないのだ。

オーディーオドラマだから当然マイクを通して表現することになる。マイクの使い方にもこつがあるようだ。マイクは音の拡大鏡、「小さい声でしゃべってもマイクがあるから大丈夫」これはよくある勘違いだ。小さい声は確かにマイクによって大きく聞こえるようになるが、小さい声はいくら大きくしても小さい声だ。ノイズも一緒に増幅されてしまう。距離の表現が的確でないと、湾曲した世界が出来上がってしまう。

味噌は生きている

今年も この季節がやってきた。年末恒例「みそひともんちゃく」 手作りみその会 またの名を 所沢大発酵祭り。バイオテクノロジーの原点ともいえる「発酵食品」。その中でも健康食品として注目されている「味噌」を作り その年の自家製味噌を持ち寄り、品評会をして それを話の種に これまた発酵食品「酒」を飲む。目的は「酒を飲む」ではない、念のため。味噌造りは意外と簡単だ。大豆を煮て、つぶし 麹と塩を混ぜ、密封して漬けておくだけ。最近では材料をセットにして売っているから、誰でも出来る。私たちは、まとめて材料を買い、仕分けして配る。この作業が大変だ。50人近い会員分となると豆だけでも大変な量になる。朝早く集まり、大豆や塩を小分けしていく。これだけ働いても 誰も儲からない、まさしく純粋NPOだ。

この会の開祖は サザエさんのマスオさん役でおなじみの増岡弘さん。仕事仲間が所沢のお宅に年に一度集まり、自分の味噌自慢をしていたのが始まりだそうだ。そのせいか サザエさんに出演しているメンバーが多い。落語は玄人はだしで、陶芸も轆轤を操り、百姓もすれば、劇団を持ち芝居もする、いつ寝ているのだろうと思うくらい忙しい増岡さん。この日も朝から、大車輪の活躍。午前中の準備が終わると、午後から、大祭。会員がそれぞれ去年漬けた味噌と一品料理を持ち寄る。審査員が採点し、優秀な味噌は、開祖から、賞状と、賞品、そして味噌の名前を貰える。最後に全員の味噌で作った豚汁を飲む。これがたまらなく美味い。開祖曰く「食べ物は 車のガソリンではない。ガソリンは排気されてお仕舞いだが、食べ物は 自分の身体そのものになるのだ」食料自給出来ない日本、味噌ぐらい自分で作ってみよう、と言うわけだ。

早朝報道番組に生出演していた頃、担当していたコーナーが、この会を取材し、ナレーションしたのが縁で、増岡味噌道場に入門した。それ以来ほとんど出席しているが、この日は、本当に腹が空く。いつもの空腹は、食事の時間を知らせる、習慣的な 惰性でしかないと思わせる、年に一度の心地よい空腹感だ。腹が空いたところで、餅をつき、持ち寄った料理をつつきながら、酒を飲む。飲めない私もこの日は飲む。

「味噌は生きている」同じ材料 同じ方法で作った味噌が、作った人によってこれほど違うのかと驚く。まさしく10人10色。黒っぽい物から黄金色に近い物まで。艶も、香りも、味も違う。環境が人を育てるように 味噌もまた環境に左右される。水 そして置き場所。一年を通して風通しの良い涼しい場所が必要だ。まさしく「味噌は人なり」 手前味噌と言われようとも、賞状を貰えなくとも、自分の味噌が一番おいしいと感じるのは、私だけではないようだ。

しし座流星群

しし座流星群
近眼の私にとって、夜空の星ほど、うらめしい物はない。高校時代から眼鏡を使用しているが、星座表のように星が見えた試しがない。みんなが同じように見えるのならあきらめもつくが、目のいい人は、場所によってはかなり暗い星まで見えるというのだ。
プラネタリウムを渋谷の東急の屋上で初めて見たのは、中学生の時だった。天文ファンの同級生に誘われて行ったのだが、驚きの世界だった。それ以来夜空を見上げたときのフラストレーションが続いている。ディズニーランドの猛獣を見たあと動物園で昼寝のライオンを見るようなもどかしさだ。天文ファンの同級生の目が遠視のようにいいのだから、たまらない。彼の星座解説に想像力で応えるしかなかった。彼とは科学部に一緒に入り宇宙ロケット実験をすると言って 黒色火薬を作り、鉛筆の金属製のキャップに詰め、火を着けて飛ばした。ほとんどは、キャップそのものが溶けてなくなったが、1メートルくらい飛んだのもあった記憶がある。もちろん大まじめだったのだが、今思うと危険な遊びをしていたものだ。
そんな経験があるからと言うわけでは勿論ないが、この仕事をするようになってから、プラネタリウムのナレーションは良くやらせて貰っている。最近は、ドラマ仕立てのものより1人で全部「語る」仕事が多い。予算の関係か、それとも声の質の問題か、定かではないが、この日も1人だ。冬の星座と言えばなんと言っても「オリオン座」ベテルギュース リゲル それに「オリオンの三つ星」は天文ファンでなくても知っている。その下腰から下げた剣の所に「小三つ星」がある。仕事では何度も台詞で言っているので名前は知っているが、これも実際はぼんやりとしか見た事がない。
そんな長年のもやもやを吹き飛ばすような天体ショーがあった。テンペル=タットル彗星の置きみやげ 獅子座流星群だ。アッシャー博士の予測に期待しながらも、どうせ近眼だから、とあきらめ半分で外に出たのだが、見事な星のシャワーに感激した。獅子座の方角は雲が残っていたが、むしろ大犬座や、オリオンの近くを切り裂くように、星が流れていくのがよく見えた。マイナス1.6等星のシリウスの輝きをあざ笑うかのように、レーザービームに似た光を放つものもある。用意したデジカメのシャッターを押す。15秒解放にして押し続けた。思えば星を撮る為に選んだデジカメが、初めて役に立った・・・とこの時は思ったが、部屋に帰って開いてみると、無い。一枚も流星は写ってなかった。しかし一枚一枚拡大して隅から隅まで眺めると、あった。流星ではなく、小三つ星が。冬の大三角 オリオンの三つ星 その下にはっきり剣のように並んでいる星が、原稿通り、3つ。

偉大な先輩

声優には偉大な先輩が沢山いるが、山田康雄さんもその一人だった。ルパン3世では、アフレコ時にアニメーションが完成していないと、仕事をしないで帰ったそうだ。当然のことなのだが、それを出来る人はなかなかいない。駆け出しの頃、警官Aとか子分Bとかの役で何本か出演させていただいたが、スタジオにはある緊張感が張りつめていた。その緊張感が、アドリブで和む。ルパン3世は山田さんのアドリブで、生きたキャラクターだった。あの絶妙なアドリブは、真剣な日常生活に、天才的なひらめきが加味されて生まれたものだと、思う。その場の思いつきだけで出来るものではないが、静止画では、あれだけ生き生きしたアドリブが生まれたとは思えない。「忙しくて間に合いませんでした。」「忙しいので、アドリブが出ませんでした。」言い訳を自分にも他人にも許さない真剣さがあった。またレギュラー全員の見事なチームワークがそれを支えていた。

競馬実況

WOWOWで放送予定の海外ドラマ「走れ!おしゃべり馬」に声で出演した。騎手を夢見る少女と、臆病なおしゃべり馬の大逆転ドラマ。役は光栄にもダービーの実況アナウンサー。競馬好きだからなのか、それとも実況アナ役が多かったので競馬に傾倒したのか、良く覚えてないが、昔から良くやらせてもらっている。競馬のドラマではないが、以前競馬実況でおなじみの樋口忠正さんと仕事でご一緒したことがある。アイスホッケーNHLのファイナルのスタジアムを舞台にした「サドンデス」と言う映画で、樋口さんが実況 私が解説者役で共演させていただいた。
その時驚いたのが、樋口さんの声、ラジオで聴いているとそうは感じないのだが、ものすごいテンションで、声量が半端ではないのだ。数万人の大歓声の中でやっているので、とおっしゃっていたが、ドラマの中での実況が嘘っぽく感じるのは、この違いだとその時実感した。馬の名前やレース展開に手一杯で、馬券を握りしめた、大観衆の存在をつい忘れがちになる。競馬実況と言えばなんと言っても杉本アナ。ミホシンザンが勝った天皇賞「ニシノライデンが外へ、その外へアサヒエンペラー、ミホシンザンは内」ラジオ番組で あの杉本アナの実況と同じコメントでやって欲しいと言われ、何度も聞いて、やったことがある。淡々と実況しているように感じるが、この時も、実は相当テンションは高いと感じた。マイクを使うから小さい声でも、大丈夫と思うが、テンションや感情はフェーダーを上げても、低いままだ。無理して持ち上げれば、むしろその低さが、強調されてしまう。これらの経験を無駄にしないよう気合いを入れた、つもりだが、果たして・・
今回は台本に、アナウンスコメントが書かれていたが、時々台本に全て書かれていない作品がある。その場合は、当然自分で考えるのだが、気をつけないと 日本的な表現になってしまう。例えば「しんがり」「どん尻」など競馬専門用語的な表現や数々の名文句も、洋画には不似合いな気がする。

ボイストレーニング

輪状甲状筋を鍛えて音痴を矯正するトレーニングが、ワイドショーなどで人気ですが、喉についての書物を読みあさりました。翻訳本が多く、訳が難解で読みづらいのですが、どうにか理解出来ました。今まで無意識に使っていた喉の筋肉ですが、声帯を無理なく使うためには、今までの方法だけではダメだと言うことが分かりました。ここ数年 思ったような音が出せず、もどかしい思いをすることが多かったのですが、やっと晴れ間が見えた気がします。声が出ないと「もっとお腹から声を出して!」と言うのが口癖でしたが、腹筋だけでなく、他の筋肉トレーニングも重要だと思い出しました。
その ボイストレーニングの勉強会でお世話になった、森下先生のピアノコンサートが、オペラシティーのリサイタルホールでありました。詩の朗読でちょこっとお手伝い。ピアノ2台の連弾は大迫力。ホール全体が楽器の一部のようになって、圧倒されました。舞台の袖、姿見の前にマイクとフェーダーが用意されていて、そこで曲の前に詩の朗読。ラフマニノフの「2台のピアノのための組曲 第一番 作品5 幻想的絵画」と言う作品で曲の前にレールモントフやバイロンの詩が添えられています。 曲について知識がないので 事前にインターネットで検索、詩もいろいろな訳があり、おぼろげに全体像をつかむことが出来ました。お客さんの雰囲気が全く感じられない影マイクなので、先生方にチェックしていただいて入念にリハーサル。生で朗読するのは久しぶり、心地よい緊張感を味わいました。(お客さんは迷惑だったかも)ほんの数10分で、出番は終わり、後は袖で演奏を楽しませていただきました。嵐のような拍手、アンコール、後かたづけ、余韻を残して家路につきました。たまには心に音楽を!