朗読

田子さんに作品をお借りしました。
素晴らしいので是非聞いて下さい。
朗読カフェでも聞く事が出来ます。

旬の話題を思いつくままLipNoise

心も新たにスタートします。季節の話題を中心に思いつくまま、時にはリップノイズのように・・
ブログに移行する前に書いていたノートの文章を2004年にインポートしました。
カテゴリーでnoteをクリックてみてください。ただし内容と日時がずれています。

National College of Technology

National College of Technology

内田樹著「先生はえらい」を読みました。「いい先生」は絶滅寸前種的に激減している、殆どの人は「人生の師」といえるような先生に出会っていないと言う書き出しで始まるのですが、この仕事を通じてその絶滅寸前種的な先生方と出会いました。
高専と言えば最近はロボコンで有名ですよね。その国立工業高等専門学校の英語の先生が、全国から集まって高専生の為の英語教材を作ると言う夢のようなプロジェクトに参加させて貰ったのです。構想から数えると数年がかりの計画の仕上げです。英語教材の仕事は何本もやっていますが、今回は少し違いました。解説部分のナレーション。しかも英語の発音がかなり重要なのです。英語は、自慢じゃありませんが、学生時代アメリカンスクールのガールフレンドがいて、その時にカタコトで日常会話をした程度。ところが原稿を見てびびりました。高専生の為の英単語と言う事で、理科系の単語がずら~り。おまけに原稿の量が半端ではありません。ガールフレンドとの会話は愛と若さと辞書で何とかなったのですが、今回は愛も若さもありません。仕方なく発音してくれる電子辞書を引っ張り出して、孤独に下読みを始めたのですが、なかなか進みません。殆ど徹夜でスタジオに。
結局原稿をつくった先生方に英語の発音指導を受けながら、収録する事になりました。情熱を持った先生は世の中に大勢いると思います。問題はその情熱の方向です。いい教材をつくりたい、それが「人を育てる」事につながると言うベクトルにスタジオが一体となりました。私も中学高校でこんな先生に出会っていたら、もっと英語が好きになっていたかもしれないとつくづく思いながら。
ところで英語の発音は疲れます。「何年ぶりかで英会話をしたら、喉の筋肉が疲れた」と言う話を聞きましたが、日本語では使わない筋肉を使わないと出せない音が沢山あります。特に下顎、それと舌。曖昧な母音でも通じてしまう日本語と違って、英語はそれが許されません。高低アクセントの日本語と違って、強弱アクセント、同じ綴りの言葉でもアクセントの位置で、名詞か動詞か違います。もっとも日本語の場合は曖昧さでいろんなニュアンスを表現出来るのですが、バイリンガルのナレーターの声の訳がよく分かりました。

究極の異化効果

文楽公演 浮声切響 究極の異化効果

壇ノ浦兜軍記・阿古屋琴責の段 三十三間堂棟由来

知り合いに誘われ何十年ぶりかで文楽の公演を見ました。
文楽というと直ぐ人形が思い浮かびますが、今回は太夫の浄瑠璃語りに圧倒され、改めて読み語りの奥の深さを感じました。
朗読や語りの会を見に行くと、暗記して台本は見ないスタイルと、暗記しても台本を持つスタイルとがあります。明快な演出理由があるはずなのに、どちらにも目のやり場に困る収まりの悪さに疑問を感じてました。でも文楽を見て清々とした気持ちになりました。その答えがここに凝縮されていたのです。その一つが「床本」、太夫は演じる前に床本ををうやうやしく頂き、「見台」に載せ語り始めます。観客は三味線が鳴り、人形が動き出すとその意味がようやく分かります。三位一体の融合と言われますが、人形・人形遣い、語り・太夫、三味線・三味線弾き、床本の存在が、私たちを三者との微妙な距離に導いてくれます。
また生演奏との共演についても、明快な答えがここにありました。阿古屋琴責の段での琴、三味線、胡弓の演奏、人形の動き、浄瑠璃、まさに三位一体の融合は見事と言うほかありません。
太夫は一人で詞(ことば 会話の部分)地合(じあい 情景描写の部分)節(ふし うたの部分)を語りますが、声色や物まねではなく、人物の心情を表現する事で、老若男女を演じ分ける(パンフレットによる)のだそうです。三十三間堂棟由来でお柳親子の別れの場面、太夫の迫真の台詞は圧巻でした。太夫が一心不乱に浮声切響に語る目の先にあるのは見台の床本、どんなに感情移入しても、お客が見ているのは三人の人形遣いに操られた人形なので、どろどろした台詞も心地よく耳に入ってきます。気がつくと客席の私たちは怠けることなく劇に参加して、ファンタスティックな異空間にとけ込んでいました。
語りにはリアリズム演劇の手法が良い作品もあるし、講談や落語のような距離感で語る方が良い作品もあります。歌舞伎、落語、講談、この人形浄瑠璃がルーツな訳ですから、もっと早く見に来るべきでした。誘ってくれた放送作家の今井田氏に感謝です。

真打ち昇進お披露目

声優仲間の一龍斎貞友さんが講談協会の真打ちになり、そのお披露目の興行最終日に行ってきました。
開演時間にはすでに超満員、流石です。落語もそうですが、真打ち興行というのは、客にとってはたまりません。なんと言っても豪華なメンバー、師匠で人間国宝の一龍斎貞水さん、宝井馬琴さん、同時に聞けるんですからにわか講談ファンも大満足です。貞友さんは勿論「とり」、先輩や師匠が前に上がります。中入り前人間国宝の一龍斎貞水師匠の出し物は、赤穂義士外伝『梶川の屏風廻し』講談独特の節回しを見事な息遣いで聞かせたかと思うと、素に戻ってお客に語りかける絶妙の語り。
中入り後、口上。先輩や仲間からも慕われている貞友さんの人柄が伝わってくる心温まるものでした。師匠の言葉には、厳しさの影に隠された弟子を想う心がほのぼのと伝わってきました。
そして講談協会副会長宝井馬琴さんの一席が終わると「待ってました!」のかけ声が飛んで、いよいよ貞友さんの登場です。きりっと締まった表情には、伝統ある講談の真打ちとしての気品と自信が溢れていて、美しかったです。(函館で蟹を食べていた時の姿からは想像も出来ません。)この日の演目は鼠小僧次郎吉「汐留の蜆売り」、語りも名調子、人物の演じ分けもまた見事で、客は笑いながらも、いつの間にか話に引き込まれ、泣いていました。贔屓のお客さんも、俄講談ファンも大満足の一日でした。本当におめでとうございます。

人間国宝観劇のはしご

貞友さんのお師匠さん一龍斎貞水さんは重要無形文化財の保持者人間国宝ですが、実は前日にも人間国宝が出演するお芝居を観てきました。なんとも贅沢な「はしご」となりました。
国立劇場の 十月歌舞伎公演、通し狂言「伊賀越道中双六」主演の中村鴈治郎さんは、上方歌舞伎の第一人者で人間国宝。歌舞伎を知らない人には、妹が女優中村玉緒、夫人が扇千景元大臣と言えば直ぐわかると思います。何十年ぶりかの通し狂言と言うキャッチフレーズですが、ストーリーが目茶苦茶でお客には不親切でした。中村雁治郎さんが、荒木又右衛門と呉服屋十兵衛二役演じるのですが、仇同士の後見役なので、余計わかりにくくさせていました。ストーリーではなく、贔屓の役者を見て楽しむと思えば納得ですが、何十年も通しでやらなかった理由がわかった気がしました。しかしそれぞれの芝居はは素晴らしかったです。呉服屋十兵衛を大阪弁で演じる「沼津」という幕は、客席を回ったり楽しませる工夫があり、剣豪と大阪商人の二役演じ分けは見事でした。さすがに浄瑠璃が始まるとつい気持ちよくなって睡魔が襲いましたが こちらも気品があって魅了されました。「通し狂言って長いんだね」というお客さんの声が印象的な4時間半でした。やっぱりガイドのラジオ借りるか下調べをして見るべきですね。

三軸修正法

歪んでいるのは身体?心?それとも
宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の中にこんなシーンがあります。
タヌキの親子が、子供の病気を治して欲しいとやってきました。
ゴーシュは何のことだかわからないので、からかわれていると思います。 ところがタヌキのお母さんは、 ゴーシュのセロの音で森の動物たちの病気が良くなったと言うのです。

こうした事はなにも物語の中だけの出来事ではありません。
音楽療法と言う治療法が実際にあります。
癒しという言葉がよく使われていますよね。
病院に行っても治らなかった病気が、 ちょとしたきっかけで良くなったという話は良く聞きます。

宗教や、宗教まがいのものを連想する方も多いと思います。
目の前で起こった不思議な事を理解するには, 超自然現象として、神々に解決して貰うしかなかったのかもしれません。

しかしこのような身体の不思議な現象を 物理の法則で説明してしまった人がいます。 池上先生です。 その研究会に参加してきました。
発声法に役立つヒントがないかと考えたからです。 初日から驚きの連続でした。 ともかく不思議な事が次々におこるのです。

でも、それを不思議だと感じさせる私たちの常識が、 実は常識ではなかったのだと気がつくまでにそれほど時間はかかりませんでした。

例えば身体の歪みです。
姿勢が悪いと声が出ないので、つい「姿勢を良くして!」と言ってしまいます。 言われた方は 自分は姿勢が悪い、 だから声が出ない、 良い姿勢をしなければ駄目、 自分は間違っている、 とスパイラルに陥り緊張するだけになってしまうでしょう。

歪みには原因があってそれが一番楽な姿勢だとしたら、 それ以上解放された身体の状態はないという事になります。 実はもっと曲がった姿勢の方が楽なのかもしれません。

常識から見ると曲がった姿勢でも、身体の内側から見ると それが一番楽な姿勢だと言う事です。しかもそれを修正するのに力もいらなければ、道具も必要ないのです。 ただ、修正出来る事を本当に理解するにはまだまだ時間がかかりそうですが・・
ともかく世の中の様々なところにこれと同じ事が沢山あると感じました。

ビデオサロン

ビデオサロンという月刊誌で、「ナレーターのひとりごと」という連載が始まりました。紀行や自然観察など趣味のビデオ作品にナレーションを入れて楽しんでいるアマチュア映像作家への、ワンポイントアドバイスを、声優・ナレーターとしての自分の経験を交えながら綴ったものです。アナウンスブースの中で思ったことや、失敗談等を紹介していこうと思っています。
きっかけは、このホームページでした。ノートを読んだ、担当者の方から「あんな感じで書いて欲しい」と言うメールをいただき、こんなのでもいいならやってみようと言うことになりました。先日第一回目のコラムが載った本が届きました。プロの編集者に手直された文章は、フォーカスを修正されたピンぼけ写真のようでした。感謝あるのみです。
いつまで続くか分かりませんが、やれるだけやってみようと思っています。機材の扱いなどは読者の方が詳しいと思いますので、仕事上の経験を元に、話を続けていけたらと思います。
第1回目のテーマは原稿です。少し前に収録した奥久慈の自然をテーマにしたビデオ作品を思い出しながら、話を進めて行きます。
アテレコやアニメーションの台本はどの作品もほぼ同じフォーマットで印刷されています。しかしナレーション原稿はバラバラです。さすがに手書き原稿はなくなりましたが、横書きだったり、読みにくい原稿が多いのです。ファックスの場合、修正できないので、メールで貰うようにしています。ところが今度はファイル形式がまちまちで、ワード、一太郎、PDF、エクセルやパワーポイントの時もあると言った状況です。一応全てに対応できる環境にしましたが、開けるソフトを持ってない人は真っ青です。
今回は私が読みやすいと感じた書式をサンプルとして乗せて貰いました。是非「ビデオサロン」を読んでみて下さい。

宙組公演「ファントム」

夢見る「宝塚歌劇」90周年
宙組公演「ファントム」

オペラ座の怪人の宝塚版
何回か見た宝塚歌劇ですが、そのサービス精神には驚かされます。生オーケストラの演奏。華麗なダンス、絢爛な美術、そして洗練された歌とお芝居、好き嫌いはともかく「金を返せ」とは口が裂けても言えません。劇的な幕切れになったかと思うまもなく緞帳が跳ね上がり、芝居とは全く関係のないトロピカルな衣装でエンディングショーが始まると、観客は芝居の余韻など忘れたかのように、手にした濡れたハンカチを振りながら手拍子足拍子。最後に電飾の大階段から孔雀のような羽を付けたあこがれのスターが、歌いながら降りてくるのを見たらもう興奮の坩堝。これで椅子席最低2500円SS席でも1万円なら、大満足でしょう。発売と同時に完売、友の会会員でもチケットは抽選でなかなか手に入らないのも納得です。
開演前の場内アナウンスも、宝塚は違います。通常は新人か研究生などが原稿を棒読みする場合が多いのですが、いきなりトップスターの挨拶で始まります。一回の公演に何度も足を運ぶファンがいるのも頷けます。
文学座公演でリチャード3世を演じた江守徹さんの芝居の評価が驚いた事に、劇団内では、分かれていると耳にしました。芸術論はともかく、どちらも満員の客席の拍手が全てを語っていると思います。

開祖

だめな人の前をメザシをもって移動中

手作り味噌の会「みそひともんちゃく」発足25周年を記念した、参加者の想いを綴った文集が完成しました。この会を中心になって運営しているのは、サザエさんの「マスオ」さん役でおなじみの増岡弘さんです。私たちは「開祖」と呼んでいます。教祖ではありません。
会の目的は「自分で味噌を作って食べる」それだけ。
良い材料をまとめて仕入れ、分配してそれぞれ仕込む。それが、材料を取りに集まるついでに、「前年に仕込んだ味噌を持ち寄り品評会をしたらどうだ」と言うことになり、年に一度味噌(酒も)を味わい楽しむ会になりました。一生懸命美味しい味噌を作っても仕事が増えるわけでも、また売るわけでもないので、お金には結びつきません。その年の品評会で 一番美味しいと認められると、表彰状、それに芸術家でもある開祖作の陶器が賞品としてもらえます。(開祖のお手製の器はヤフーオークションで値のつくような物ではありませんが、我々には途方もなく価値のある一品です。なにより開祖の愛情が込められています。)メンバーの入れ替わりはありましたが、なんと25周年をむかえたのです。

そう言えば「だめな人の前をメザシをもって移動中」のシティーボーイズも結成して25年になるんだそうです。今年も無事東京公演を打ち上げました。25年も馬鹿なことをまじめにやってきた情熱には頭が下がります。「技を拒否する姿勢」はますます健在です。

先日家のパソコンでビデオの編集していてふと思いました。DVDやビデオは映像と音声がそれぞれ別のトラックに記録されています。人間の行動にはもう一本編集の出来ない「心」のトラックがあると。25年続いた裏で、どちらにも打算のない「ひたむきな情熱」が、「心のトラック」にはっきり記録されていると感じました。

斉木さんと違って自分で詩が書けないので人の詩を、

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
青春とは怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増やすが、情熱を失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥になる。
六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、
驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、
悲嘆の氷にとざされるとき、
二十歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
八十歳であろうと人は青春にして巳む。

サムエル・ウルマン「青春」(作山宗久 訳)より

清兵衛と瓢箪

第二回語座公演で、志賀直哉の短編「清兵衛と瓢箪」を語ることになりました。教科書などで一度は読んだことのある作品、読んだことはなくても内容は知っている、何方にも懐かしい作品・・ではないでしょうか。
瓢箪の蒐集に夢中になる子供、それを叱る大人。何処の家庭にもある話です。があっと驚く結末が用意されています。
子供を、経験からもたらされる価値観の枠の中にはめ込もうとする先生や親、気がつかない内に、それからはみ出してしまう子供を恐れるようになります。
マリナーズで活躍しているイチローがオリックスで新人の時、フォーム改造しなければ駄目だと言われたそうです。常識と非常識、個性と癖、その見極めを誤った指導者は、後に肩身の狭い思いをすることになります。
どんなに才能があっても それを指導者が見抜けなければ、芽は摘まれてしまいます。指導者の 好き嫌いや間違った思いこみで、つぶされた才能が世の中にはどれだけあるのでしょう。

その点私は 師には恵まれています。
残念ながら 清兵衛のような才能は ありませんが。