世界最強の男決定戦

実況と朗読

 そろそろプロ野球開幕ですね。
 数万人の大観衆の熱気を背に、スポーツの決定的瞬間を伝える実況アナウンス。盛り上げようとして空回りしたり、淡々としすぎて味気なかったり。実況次第で試合の印象は随分変わりますよね。
 田中マー君の活躍が楽しみなMLBメジャーリーグ。実況を聞いていて何か物足りないなと感じたことはありませんか?日本の野球の中継に比べて、随分淡々としているように感じます。何が違うのでしょうか?
 スポーツを観戦する楽しみの一つが、スタジアムの熱気です。グランウドで選手が必死に競い戦う姿に、スタジアムが沸き、一体となって応援します。季節の風を感じながら、声を張りあげると爽快な気持ちになりますよね。ついつい熱狂的になりがちです。最近、サポーターの残念な行為によって、無観客で行われたサッカーの試合がありましたが、ゲームの面白さは半減、いやそれ以下かもしれません。プロスポーツと観客は切り離せません。観客の存在によって実況も大きく変わります。
 日本のプロ野球中継はファンの熱気に包まれたスタジアムの実況席でやるのに対して、MLBの中継は衛星で送られてくる画像をモニターで見ながら実況しているために、あっさりして聞こえるのだと思います。全てではありませんが、一部の試合は無観客実況なのです。
 
 私も先日放送された、世界最強の男決定戦で、実況風?ナレーションをやったばかりです。私の場合は、ナレーションなので、実況ではありませんが、観客は10万人いると想像してやりました。実際の大会観衆は数十人なのですが、全国の視聴者が全員熱狂して応援していると信じてやりました。
随分昔の話になりますが、競艇選于の活躍を描いたTVアニメ「モンキーターン」という作品がありました。そのクライマックス、賞金王決定戦で実況の声を担当した時も想像した観客は10万人です。でも生の実況はやったことかありません。というよりできません(笑)。

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観客の存在を感じながらする実況と、スタジオでモニターをみながらする実況。

一つの朗読作品の中でこの二つを使い分けられるといいなと思う時があります。

よく、感情を入れる入れないで区別する人がいます。
しかし、アナウンサーがニュース原稿を淡々と読んではいても、感情がない訳ではありません。日本全国誰が聞いても聞き間違えることがないように、正確に、しっかり伝えようと意識して読んでいるのが、淡々と聞こえるだけなのです。10万人の熱狂的な観客を背に、声をからして絶叫している実況アナウンサーも、感情を入れているわけではないのです。観客の歓声に自分の声が聞こえないので、自然に声が大きくなるのです。
もちろん朗読する作品の中には観客はいません。しかし、透き通った風は吹きます。桃色の朝の日光は昇ります。

物語の世界の空気を感じながら語る部分と、スタジオでモニターをみつめるように語る部分と細かくスイッチング出来ればと思います。

宮沢賢治作品の朗読をかってにさせてもらっていますが、よだかの星を劇場で朗読した時、「一緒に夜空を駆け巡っている様に感じた」という感想を頂きました。
賢治ワールドには、実況レポートのような描写が沢山出て来ます。レポーターは動物であったり植物であったり・・

空を切り裂く様に空に舞い上がったよだかが、、上空から西の空の山焼けをよだかの眼で伝えている・・
遠くに行くことを決意したよだかの眼に映る山焼けの色は・・

朗読カフェ メルマガ原稿を修正加筆しました。

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